序幕
--それは、未曾有の大災害だった。
立つことすらままならない揺れに、ただ怯えることしかできなかった。
地球が震えているのだ。その上に生きる私たちが、どうして震えずにいられようか。
…周りは言う。みんな無事で良かったねと。
たしかにそうかもしれない。家族は皆逃げ延びて、そして再会できた。
けれど。私は失ってしまった。
地震で崩れ、延焼で燃えた家。荒らされたのかも判別できない灰色の敷地。
その中で奇跡的に焼け残っていた箪笥の中。
ずっと大切にしたかった思い出は、すでに失くなっていた--。
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2023月7月某日。千葉県幕張メッセ。
リベ大フェス2023内ブース#34は大賑わいだ。
ゆかたの着つけをしてもらえたり、和小物を作ったりできる、その名も「着物好きブース」。
事前予約は必要だが、スタッフの個性が光る着物姿や可愛らしい小物作りの様子が見えるからか、足を止める人が多い。
そんな様子を見て、今まさに洋服の上からゆかたを着つけてもらっている女性がいた。
リベネームはマイ。昨年末にリベシティの住民となったが、フェスに出店はしておらず全日を全力で楽しむつもりのOLである。
「着物ブース、大繁盛ですね!早めに予約してよかったです」
「ありがとうございます。着物ってハードル高いって思われがちだけれど、自由に楽しんでいいものなんですよ」
そう語るのは着物好きブースの管理人のあやぽんだ。
お香の伝道師という肩書きもある。
「マイさん、帯を締めますね」
「はい!お腹引っ込めた方がいいですか?」
「んー、今はそうですね。でも、着物でお出かけするときは少しお腹を膨らました方がいいですよ。じゃないと、苦しくなってくるので」
着つけをしながら豆知識も忘れない。
「着物でお出かけかぁ…実はゆかたも持ってなくて」
少し困ったようにマイが笑うと、別のスタッフが弾けるような笑顔を向けた。
「あら、チャンスじゃない!ゆかたは既製品も多いし、家で洗えるものが多いから最初のステップにピッタリなんですよ」
るーふぁ、と書かれた名札の女性は、よく見ると帯ではなくコルセットベルトを着けている。
「いやぁ、毎年欲しいなぁとは思うんですけど、思ってるうちに夏が終わっちゃって」
しょんぼりするマイの前に、笑顔のかわいい小柄な女性が目を輝かせて歩いてきた。
「こんにちは!みみさんっていいます。欲しいと思った時が始めどきですよ〜っ!ゆかたは毎年のトレンドもあるけど、ビビッと来た子をお迎えするのが1番かなぁ。私、普段着物始めたい方の応援団なので!ファイトですっ」
耳心地の良い声で応援され、マイも自然と笑顔になる。
「ありがとうございます!会社帰り、デパート寄ってみようかな」
その言葉にるーふぁとみみさんが揃ってうんうんと頷く。
それとほぼ同時に、後ろから「よしっ」と声がした。
「はい、着つけ終わりましたよ」
「わぁ!すごい!!ありがとうございます!」
「ではお写真撮りましょう。こちらへどうぞ」
水色のゆかたを着て、学長パネルと並んで写真を撮る。
ゆかたと帯などを返却してスタッフにお礼を伝え、着物ブースを一歩出た。
「ゆかた着つけ体験、楽しかったなぁ〜!やっぱり着物っていいなぁ」
独り言が出るほどに憧れを持ったのかもしれない。そんな時、声をかけられた。
「もし。君は、着物が好きなんだね」
声のする方を見やると、袴姿の初老の男性がマイを見て微笑んでいる。
「はい!自分では持ってないんですけど、成人式とか卒業式で着たときはテンション上がりました!」
名札をつけていないということは、着物ブースの出店者ではないのだろう。しかしその着姿には、たしかな品と歴史を感じられた。
男性はにっこりと笑みを深くする。
「そうかそうか。嬉しいな。…その、突然で申し訳ないんだが、着物が好きな君にお願いがあるんだ」
「私にできることなら!」
困り事があるのならば力になりたい。そも、人生もビジネスも助け合いで成り立つものだ。
しかし、男性からの『お願い』は、マイの予想の遥か斜め上を飛んできた。
「君には、ある人物への『試練』に共に挑んでほしい」
「…へっ??い、いきなり、試練!?」
あまりに堅苦しい言葉に動揺する。すると男性は申し訳なさそうに声を顰めた。
「うむ。驚かないで聞いてほしいのだが…私は、神なのだ」
「か、かっ、神様ぁ!?」
素っ頓狂な声を出したことに気づき、慌てて口を押さえる。
幸い周囲は気に留めなかったようだ。
「私は神として、ある人物に『試練』を課した。彼女は願いを叶えるために試練に臨む。そしてその試練には、助けとなる人が必要なんだ」
「でも、どうして私が…?」
「マイ、君にしか助けられないんだ。すまないがこれ以上は私からは伝えられない。真実を知りたければ、彼女も試練に挑むことだ」
「そんな…ていうか、どうして私の名前を…本当に、神様なの…?!」
あまりのことにしばし戸惑ってしまった。しかしマイにはどうしても、目の前の『神』を名乗る男性が悪いことを考えているとは思えなかった。
「わ、わかったわ…」
戸惑いを完全には払拭できない。それでも意を決して承諾する。
神はほっとしたように頬を緩めた。
「ありがとう。では、紹介しよう」
そう言うと、神は一歩右に移動する。その後ろから--
「こんにちは、マイ」
まだ幼さの残る顔立ちの、マイより少し年下くらいの少女が現れた。
鮮やかな赤の着物に身を包み、長い黒髪をおさげにしている。
「彼女が『試練』に挑む人物だ。では、私はこれで。最後に辿り着く先で待っているよ」
そう言って神はくるりと背を向ける。
「あっ、ちょっと待っーー」
慌てて追いかけようとするも、神はフェスの人並みに紛れてしまい、その背中を見つけることすらできなかった。
「行っちゃった…」
見ず知らずの少女と2人きり、何から話せば良いものか。
困った時には天気の話題が王道かな、などとマイが思案した時、
「その…」
少女が遠慮がちに声をかけてきた。
「嫌でなければ、手伝ってほしいの」
その申し訳なさそうな表情を見ると、1人で試練を受けさせるのは少し可哀想な気がしてくる。
とはいえマイも、待ちに待ったリベフェスを楽しもうと思った矢先にいきなり試練に協力してほしい、と言われたのだ。自分の楽しみを削る以上、それ相応の理由がなければ手伝うのは難しい。
そこでマイは、確かめることにした。
「んー、ちょっとパス」
深刻になりすぎないよう、拒絶してみる。
もしかしたら英語は通じないかも?と言った後に思ったが、それは杞憂だった。
「えー!そんなこと言わないで!どうしてもあなたの助けが必要なの」
泣きそうな顔で少女は手を合わせた。
「お願い。助けてくれないかな?」
「そーねぇ…誰か助けてくれるよ」
そもそも試練の「協力者」が必要なら、必ずしも自分でなくてもいいのではないか。
そんな思いから、少女の「あなたの助け」という言葉をやんわりと曲げてみる。
「そんなぁ…」
少女は俯いてしまった。
「マイにしか、頼めないの。どうしてもダメ?」
やはり自分でないといけないようだ、とマイは認識した。これ以上意地悪を続けて、本格的に泣かれたらフェスどころではなくなってしまう。
心を決めて、マイは頷いた。
「うん、わかった。いいよ」
すると少女は顔を上げ、安心したように笑った。
「ありがとう!嬉しいわ。よろしくね!」
「こちらこそよろしくね。じゃあ早速なんだけど、詳しい話を聞かせてくれる?」
そう問いかけると、少女は再び悲しそうな面持ちになった。
「実は…先日大きな災害があって、大切な着物を失くしてしまったの」
「災害って…台風とか、大雨による土砂崩れとか?」
近頃の災害ニュースにあまり心当たりのないマイは、季節柄のことを言ってみた。
しかし少女は首を振る。
「地震、なの」
「地震…?」
最近、日本で災害級の地震はあっただろうか。マイは必死に思い返そうとしたが、少女の声で中断を余儀なくされた。
「ずっと大切にするって決めた着物だったから、すごく悲しくて…そしたら神様が現れてね。マイと一緒に『時の古道』を辿り試練を乗り越えれば必ず見つかるって、教えてくださったのよ」
「ときの、こみち?」
聞き慣れない単語を繰り返す。
「そう。『訪れた先にいる者の、着物の問いに答えなさい』って」
「えーと…その『時の古道』は、どこで見つかるの?」
見たことも聞いたこともないものを探すのは、まずもって無理だ。
至極当然の疑問のはずなのだが、少女はキョトンとしている。
「マイは地図を持っているはずよ」
「えっ」
地図といえば、このリベフェス会場の地図しかない。
鞄に入れた地図を取り出してみると、なんと5つのブースに丸印が浮かび上がっていた。
「この5箇所を回ればいいはずよ」
「す…すごい…」
神といい、試練といい、時の古道といい、よく分からないことが次々と起きている。理解の範疇など、気がついたときにはとっくに超越していた。
だが、やると決めたからにはやる。
ノーペイン・ノーゲイン。目の前の少女が、大切な着物を再び手にするには自分も動くしかない。
幸いにも『時の古道』なるものは、全てフェス会場に開いているようだ。ならば、この少女とフェスを楽しみつつ、試練を乗り越えてしまおう。
これならWin-Winだ。
「わかったわ。それじゃあ、行ってみようか!」
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